端午の節句 に思うこと
昨年の春のことですが、48年前に祖父が買ってくれたという兜を田舎の母の実家に取りに行ってきました。
自分では全く忘れてしまっていたものだけど、仕事でお客さんをお迎えする空間に季節の飾り付けをしたいと母に相談したところ、預かってもらってるから取りに行って来なさいと言われて初めてその存在に知ったのです。
和歌山県田辺市にみかんと梅の農家だった母の実家にはもう祖父や叔父は他界していますが、伯母と従兄弟が住んでいる古いけれども都会に比べると大きな農家らしい家があり、もう20年以上前から預かってもらっていたようです。
兜について子どもの頃のことは自分では全く思い出せないし、その値打ちを感じたこともなかったのですが、48年前に嫁いで行った娘にできた初めての外孫のために祖父が買ってくれたというその兜は今見るとずいぶん立派なものに見えました。
しっかりと作られた箱に入ったその兜は素朴であり且つ今でも通じる華やかな色使いで、季節の飾り付けに十分に使えると感じるものでした。
そういえばと、自分でも息子が生まれた時に思い切って兜を買ってあげたのを思い出し押入れの奥を探してみたところ、これまた兜が出てきてびっくりしました。
息子が小さい時に買ってあげて以来、妻は 端午の節句 を迎える季節には部屋の隅に飾ってあげてくれていた気がするけれど、自分の中ではまったく意識する余裕もなかくこちらの兜も完全に忘れてしまっていたのでした。
それ以降のことを振り返ると自分なりに必死によくやって来たなとも思いましたが、48年前には祖父が母や自分のために負担してくれたお金やその行動を思い浮かべると涙が込み上げて来ました。
そして改めて、妻や息子の存在、そして48年前に生まれた自分を喜び可愛がってくれた祖父や育てて来てくれた両親がいてくれからこそやって来ることが出来たと感じる機会になったのでした。
今年の端午の節供は新型コロナウイルスの影響でお客様をお迎えすることはできませんが、兜を飾った空間でアフターコロナに求められる安心して家族が集える家の在り方について考えてみようと思います。